パレオパラドキシアは、束桂類というグループに属します。同じ束柱類のデスモスチルス(Desmostylus)も宍道湖南岸や出雲市郊外で見つかっています。束柱類の化石はこれまでに、北アメリ力西岸からカムチャッカ、サハリン、さらに日本列島中北部にかけての北太平洋沿岸域の漸新世後期から中新世中頃(約2800万〜1300万年前)の地層から発見されています。宍道湖周辺地域は、その分布地のなかでは、ほぼ西南端にあたります。
束柱類は、ややふくらんだ円柱を束ねたような臼歯を持っているのが特徴で、デスモスチルスの臼歯の形に典型的にみられます。パレオパラドキシアの臼歯は、小型でやや原始的ですが、同様の特徴が認められます。現生の哺乳類には、このような臼歯を持ったものがいないため、生態や分類・系統的な位置もいまだ不明とされてきました。パレオパラドキシアとは『古くて矛盾だらけのもの』という意味ですが、まさに最も謎に満ちた古生物のひとつといえます。
本センターに展示されている標本は、1982年に岡山県津山市で発見された約90点の骨格化石にもとづいて組み立てられたものです。産出地の津山市ではこの化石の研究を京都大学に依頼し、1988年に完成した全身骨格復元は郷土博物館に展示されています。パレオパラドキシアの全身像を復元するのに必要な骨格化石がそろって産出した例は、津山標本以外には、日本では、埼玉県の秩父盆地と岐阜県の瑞浪盆地、津山の発見後に見つかった福島県梁川町産のもの、外国ではアメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ近郊で発見された例があるだけです。
津山で復元されたパレオパラドキシアは、四肢が体の側方に強く張り出し、腹部を擦るように姿勢を低くしているのが特徴です。これは、通常の大型哺乳類がとる姿勢とは全く違い、まるで両生類が爬虫類のスタイルを想像させるものでした。また、従来のパレオパラドキシアの復元とも大きく異なっていました。津山標本の復元の根拠となったものは、それまでに発見された束柱類化石の詳しい比較解剖学的研究と、産出状況や地質学的証拠にもとづく古生態学的研究によるものでした。
ここに展示されている復元模型も、津山標本の復元の場合と同様の根拠にもとづいています。したがって、細部に多少の違いはあるものの、基本的には体全体の重心がきわめて低い津山型の復元になっています。
このように、絶滅した古生物の復元では、例えそれが全く同じ種であったとしても(日本産のほとんどのパレオパラドキシアはPaleoparadoxia
tabataiという一種にまとめられている)、標本から得られる数々の情報の捉え方によって、全く異なった結果を生むことがしばしばあります。それは化石標本が変形していたり、欠損していたりする場合が多いことにも原因があります。ここに展示してある復元では、個々の化石骨の変形については修正してありません。また、欠損部分(薄い色で塗った部分)は、他の産地ですでに発見されていた標本をもとに造形してあります。従って、いくつかの部分では、関節状態にがなり無理があるように見えるところもあります。復元標本を見る場合には、この点についても注目してください。
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◆どんなところに棲んでいたか?◆
体の重心が極めて低い体型はワ二のように水辺で生活もするのに適しています。一緒に産出する化石や地層の状況から、パレオパラドキシアは海岸に近い浅い海に生活し、ときどき陸に上がって休むこともした、と考えられています。また、当時の海は、亜熱帯地域のように暖がい環境であったと推定されています。デスモスチルスも同様な生活をしていましたが、パレオパラドキシアよりは冷たい海に好んで棲んでいたようです。
パレオパラドキシアでは、上下それぞれ8本ずつの前歯(切歯と犬歯)とそれぞれ12本ずつの臼歯(小臼歯と大臼歯)を持っていました。おそらく砂地の海底にはえている比較的柔らかい海草などを前歯ですくいとり、臼歯ですりつぶして食べていたものと考えられています。
デスモスチルスでは前歯は上下合わせても6本しかなく、臼歯も同時に使うものは8〜12本ですり減ると顎の後方から新しい歯がはえてくる仕組みになっています。これはパレオパラドキシアよりも硬い餌(たとえば貝とが硬い植物繊維など)を食べるのに適応しています。頭骨の形態も両者の咀嚼様式の違いをはっきり示しています。
デスモスチルス(左)とパレオパラドキシア(右)の頭骨比較(犬塚,1984より) |
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出雲産デスモスチルスの臼歯 (出雲第1標本,島大地質学教室所蔵) |
デスモスチルス(左)とパレオパラドキシア(右)の臼歯のかたち(犬塚,1984より) |
◆どんな動物に近いか?◆
このような歯と体型を持った現生の哺乳類は知られていません。それで、かつてはジュゴンのような海牛類、象のような長鼻類、さらにはひづめをもつ有蹄類のなかまとされていたこともあります。現在では束柱類として独立したグループにまとめられています。束柱類でもっとも原始的なものは北海道や北米西海岸の約2800万年前の地層から産出したベヘモトプス(Behemotops)です。その臼歯はまだ小さく、咬頭は束柱状になる前段階の丘状をしています(下図)。さらに、ベへモトプスの先祖については、絶滅した古い有蹄類の顆節類と呼ばれるグループから約5800万年前に分かれた、とする考えがありますが詳しいことはわかっていません。
体制や歯が非常に特殊な進化をした、ということは餌や生息環境が非常に限定されていたことを意味します。少しの環境変化によっても、かれらの生活は大きく影響をうけたはずです。束柱類が絶滅した中新世中期中頃という時代は世界的に寒冷化が進み、海域の環境が大きく変わったといわれています。またそのころからアシ力などの鰭脚類やジユゴンなどの海牛類が冷たい海に適応し、急速に進化してきたことが、化石の記録からわかっています。パレオパラドキシアやデスモスチルスはこのような環境変化についていけず、生存競争に破れたものと考えられます。
産出地およぴ層準:八束郡玉湯町林村,来待層
発見された年と発見者:1980年,勝部利男・勝部美喜男
文献:大久保雅弘・高安克己・廣田清治(1980), 地球科学,34巻,p.350-353.
標本の保管場所:玉湯町出雲玉作資料館