豪雨水害報告会(2006.8.1 於 島根大学白潟サロン)の参加者のお話を掲載しています
「司会」 今日は先日の豪雨水害について、経験や目撃談が個々にあると思いますので、皆さんでその情報を共有しようという事でこの会を計画しました。写真や資料をお持ちの方は、是非それを使って話をして頂ければと思います。手持ちの資料が無い場合でも、地図を見ながら自由にお話下さい。机に広げている地図には、付箋をつけ文字にして記録に残していきたいと思います。宜しくお願いします。特に話す順番は考えていませんでしたが、ここにお集まりの皆さんは全員何かしらの情報をお持ちかと思いますので、今日の座席の順番に従って話して頂く事にします。その前に今、配っている資料の説明をしておきますが、そもそも雨がどのように降ったかと、大橋川・宍道湖の水位がどのように上がったかという基本的なデータをグラフにしていますので、今日の話の参考にして下さい。本日皆さんから提供して頂いた写真や情報は、後程まとめて整頓し、インターネットで公表したいと考えています。もし都合の悪い方がいらっしゃったらお申し出て下さい。資料は皆さんお手元に届きましたでしょうか?国土交通省出雲河川事務所の方でこういう資料を出していて、HPからダウンロードもできますので個々にそれを見て参考にして下さい。
「倉田」 では始めにわたしから情報提供を始めます。19日が最も高い水位の日でした。その翌日に調査の予定がありたまたま船で出ましたので、その時船から撮った写真をお見せします。(以下、写真を示しながら)大橋川の下流からの流れが激しかったです。ブイが斜めになっていたり、下流の流量観測所ですが、このようになっていました。何か質問があったら止めて下さい。
「ギャラリー」 先程の塩楯島の写真についてです。いつも地元の方がおっしゃっているのは、ここが渦巻き状態になるんだそうです。この写真でもちょっとそういう感じが見えますね。ここから西と東では全然違うんだそうです。地元の漁師さんの話では、漁協の組合というものがありますけれども、これを境にして宍道湖漁協と中海漁協に分かれているくらい違いが有る所です。昔からそういう風に言われている所です。
「倉田」 (以下、写真説明に戻る)だんだん上流に向っていますが、これは左岸側の建物です。
「ギャラリー」 橋北側になりますね。
「倉田」(以下、写真説明に戻る)「矢田の渡し」です。20日の昼前です。
「ギャラリー」 これは「多賀神社」ですね。
「倉田」 はい。「多賀神社」、合流点の所です。(以下、写真説明に戻る)これは右から朝酌川、剣先川、大橋川を眺めた所です。これは大橋川から剣先川を見たところです。真ん中の「中の島」が水没しています。これは国交省の大橋川出張所の前です。これは右岸側ですが向こう側が浸水しているのが分かります。これは「中の島」に置いてある農作業用の機械が水に浸かっている様子です。郵便局の前は20日の時点でまだ水が残っていました。これはくにびき大橋の下の「中の島」の先の所です。合同庁舎。これは左岸の艇庫の所です。これが新大橋の上流の流量観測所付近です。和多見の魚市場の前です。松江大橋もかなり流れが速く(船が)停まっているとどんどん流される状態でした。白潟。宍道湖大橋の下です。これが天神川の入り口付近です。向こう側に行けたら行こうと思っていましたが、このように船が通れるような状態では無かったです。「嫁が島」です。これはまた戻って「中の島」の所です。今度は陸に上がって陸からの写真です。これは「朝酌川」です。「朝酌川」の川沿いの田んぼは全部浸水していました。これらは全部7月20日時点の写真です。これは「中の島」の「手貝水門」から入って行った所ですけど、「剣先川」から「朝酌川」へ繋がっている所です。「中の島」の田んぼが全部浸水しています。これは環境調査を行っているという看板です。これは「京橋川」の「朝酌川」への合流点です。「京橋川」の上流付近です。「くにびきメッセ」の駐車場です。多分水が来ていたんだろうなあと思われます。「剣先川」です。「メッセ」の目の前付近です。これは「くにびきメッセ」の前で(流れを)止めて「京橋川」の水位を下げようとしているところです。これは「北田川」です。ポンプ車で「朝酌川」へ排水しているところです。以上です。次、飯野さん情報提供をお願いします。
「飯野」 はい。わたしが撮影したのは19日です。恐らく洪水になるんじゃないかと思いまして。(以下、写真を示しながら)これは朝の5時30分の新大橋の下です。もう5時30分の段階でここは完全に水に浸かっていました。もうその時間で新大橋の下の護岸の一番下のところがもうここまで水が来ていました。ですからさっき倉田先生が20日の写真を示して下さいましたが、ある意味19日に雨の上がった後、比較的どんどん水かさが増えていった、時間差があったという事です。
「ギャラリー」 19日の午後が一番高かったです。
「飯野」 そうですね。この写真は19日の朝ですのでまだそんなに(水位が高くないかもしれません)、しかも水が殆ど濁っていませんので、上流の土砂等は殆ど来ていない状態です。(以下、写真説明に戻る)そしてこれは和多見の所の角です。向こう側が「庄助」です。通行止めにもなっていませんでしたので、知らずに突っ込んでくる車がかなりの水しぶきを上げて通っていきました。市場の方が何事かと、自分が一体どこまで行けるのか行ってみてあげるよと言って下さいました。まだ20cm無いくらい、土嚢の1段目が丁度隠れてしまう程度の水位でした。
「ギャラリー」 ここでは「庄助」の大将が、網でわかさぎを掬って、これを今日のご馳走にすると言っていました。わかさぎの小さいのがたくさん泳いでいました。
「飯野」 そう言うらしいですね。このくらい水が出ると魚が逃げてくるので網を使えば結構獲れるとか、そういうのを良くご存知の方がいらっしゃいますね。正直いろんな方に会いましたが、あまり悲壮感を持っている人がいなかったというのが今回の水害の特徴だったと、個人的な感想を持っています。(以下、写真説明に戻る)これは「庄助」の裏です。まだこの辺ですと大橋の向こう、北側はまだ余裕がありまして、丁度「なにわ一水」のところですが朝の段階だとまだ浸かっていなかったです。これが昼を過ぎますと浸かってしまいました。朝の段階では心配そうにこちら側をご覧になっていました。これは同じ時間の北側、大橋川の左岸ですね。南側はあふれていましたげど、まだ北側はあと3〜40cm位は余裕がある状態でした。階段のあと二段分位は余裕がありました。その時にこの東本町の大橋川沿い付近があふれていました。この場所は低く、ここからからどんどん水が流れ込んでいました。
「ギャラリー」 児童公園があるところですね。
「飯野」 えぇ、ここは低いようですね。(以下、写真説明に戻る)いわゆる河川パトロールの人達が来ていました。これが今浸かっていた家の道側の方です。もう20cm位(水が)来ていました。(家の人は)「床下浸水しそうだ。」と言って大変そうでした。警察が出て通行止めをし出していました。これがデオデオの前の通りで、ここはもう向こう側に消防車が出ていて、この段階でもう通行止めになりました。まだこの時には(水位が)15〜20cm位だったんですが、最終的には40cm位まで上がったらしいですね。みなさん「どのくらいまで(水位が)上がるかなあ。」というような事をおっしゃっていたり、土嚢の準備をされたりしていました。その段階でこの堀川の「扇橋」のもうちょっと東側の方がもうほぼ溢れかけていました。もうこの段階で溢れていました。気になっていたのは大橋川から入ってくる水との関係でしたので、排水溝を見ました。水が流れ込んでいるように見えますが、内側からちゃぷちゃぷと上がってきていました。この島根電工の横は大分低かったようで、ここの(水が)深かったです。これはですね、これを真直ぐ行くとさっきのデオデオの横から大橋川に繋がる、デオデオのちょっと東側に水門があって上に上がっていますよね。その上がっている所が既に何箇所か溢れていました。左側が堀川側、向こう側が宍道湖側に通じているところで、水門との水位差はこの時だいたい20〜30cm位、大橋川の方の水位が高かったです。ですからこの時もし水門が開いていたら逆に向こうの水が入ってきて大変だったかなと思います。こんな感じで水差が大分ありました。もう完全にこの道は通行止めになっていましたけど、中には途中から入ってくる車もあって大分浸かっていました。丁度車道と歩道を分けるブロックがほぼ水没してしまう水深でした。ここのアパートの皆さんは駐車場がこういう状態だったので、結構大変だったみたいですけど、このすぐ後「デオデオ」が中二階の駐車場を開放して近隣の皆さんの車を収容してくれたので大分助かったようです。さっきはここから非常に水が入ってきていまして、殆ど川状態でした。大橋川に戻りましてだんだん駅前の方に近づいていきます。ここから随分駅の方に向って水が大橋川の方から流れきていました。この後、駅前に行こうと思ったのですが、既に駅前が大分渋滞していまして何台か車が止まっちゃってましたから、ちょっと行くのを諦めまして引き返しました。これは19日の朝、7時30分から8時くらいの間の商工会議所の裏のほうの北田町になるんですが、側溝があともう10cm位で溢れそうになっていました。場所によっては溢れていました。普通の住宅街に水が出ていまして、地元の人が「ここまで水が出たのは記憶に無いなあ。」とおっしゃっていました。このお宅の地下の駐車場は完全に水没していまして「さあ、どうしようか。」とご家族で途方にくれていました。「普門院」の裏側も完全に溢れていました。北堀の方も完全に浸かっていました。これが8時30分前でした。ここからは伊藤さん説明をお願いします。
「伊藤」(以下、写真を示しながら)19日の9時ごろの天神川です。この反対側が天満宮になります。結構この部分は低いですから、こう上がってきて最終的にこの辺まで浸かりました。ここの階段が丁度目印になりまして、だいたいのこの辺をこう下がっていく場合もありますね。ここを目印に時間をかけてこの辺りを撮ってみました。天神橋の今の時間帯ですが、天神川は凄く水が綺麗でした。それから流れも殆ど無い状態でした。水位が上がっていく段階においても殆ど流れが無い状態でした。本当に普段よりもはるかに綺麗な水だなあという状態でした。本郷町の方を見たのですが、まだここら辺で少し浸かっている(程度の)段階で、この辺りが差があったかなあというところで、もう暫くしてからここが冠水しております。先程行った階段なんですが、この段階ではまだちょっと水位が多少今度は下がっているかなあと思います。上の段の所まで一番高い時にやってきたかなあという感じです。ですからまだこの下に隙間があるかなあという状態です。この辺が一番低い、最後この辺まで(水が)残っておりました。(水が)退いた後もです。これから(の説明では水位は)上がってきますけど、雨は上がって天気はよかったのですが、これからがずうっと緩やかに(水位が)上がってきたという状況です。本郷町、人参方の様子です。真ん中の方が大分冠水してきた様子です。アベック通りは冠水しています。この辺がニュースに出た所です。ここら辺は低いですので、47年の様子をわたしは覚えているのですが、朝日町は浸かる所という(認識を持っています)。こちらは新しくお店を直していらっしゃいましたが、47年の水害を生かせずお店の中に水が入ってきているという状態でした。
「ギャラリー」 ここはテレビに出ていた場所だと思いますがどこですか?
「伊藤」 ここは「千鳥寿司さん」があります。
「ギャラリー」 何町ですか?
「ギャラリー2」 寺町、昭和町と言われるところです。
「ギャラリー」 上のガードは?
「飯野」 JRです。
「ギャラリー2」 JRの高架です。
「伊藤」 こちらはお寺で47年にはお寺の墓地は(水に)浸かっています。遊水地の一つに墓地がみられていたと思います。前回は墓地の中にゴムボートが出ました。今回は(ゴムボートは)墓地の中には殆ど入っていませんでした。
「ギャラリー」 でも寺町の墓地は殆ど水浸しでしたよ。
「伊藤」 はい。でも前回ほどの事は無かったように思います。(以下、写真説明に戻る)これは朝日町の交差点ですが、道路改修のなかで交差点のところが少し高く作られていたので、今回はここは冠水をしていませんでした。で、ここはしていませんが、南に向けてと、駅通り、新大橋通りなどは多少、これからが冠水をしていったという状況でした。ここらは松江で一番低い地盤のところですから、前回も相当浸かっておりますし浸かって当たり前かなとも思います。これが新大橋通りです。ここと、これから先にある中央商店街さんですが、早く交通規制をかけられないといけなかったなあと思います。相当ここの交通量が多くて大変長い時間、車を通していましたから、その波で店舗の中が相当傷んだ状態でしたね。ですからここの交通規制というのは非常に遅かったなあというのがわたしの感想です。それと鳥取銀行の前から作橋に向けてが冠水状態でした。それからいわゆる業務用の油漏れ処理の為に、消防車がしょっちゅう行き来していました。これも結構な冠水状態でも車が走っていた様子です。これは10時30分から11時過ぎのお昼前ですね。じわりじわり(水位が)上がってきた様子ですね。この段階でこの「森山さん(酒屋)」は少し冠水し出したのかなあという状況でした。これは宍道湖大橋で「なにわさん」の方も冠水が始まったかなあというかんじです。これは合銀の裏のですね。飯野先生が確か写された時まだこの歩道が出ていましたが、これからもう少し上がって次の段階ではこの歩道が冠水していたという事ですね。フェンスを張っておられますね。これは今の「宍道湖漁協さん」の所ですが、もちろんこの辺の小屋は浸かっておりました。これは「合銀」裏のバス停の所です。「合銀の本店」の裏ですけど、まだ多少道路の高い所が(浸水せずに)残っていたお昼前の状況です。中央線の所がまだ冠水していない状態です。これがもう少しすると冠水しました。「合銀さん」の場合は前回の47年豪雨の教訓を活かして地下駐車場に入る部分を高く作ってあります。前回の鉄を踏まないという、地下に水が入らないようにここは相当上がって地下に入る構造になっています。この段階で前回との(水位)差が約1mくらいあったでしょうか。これは白潟公園です。宍道湖大橋を経た交差点ですが、これが昔のレベルですからどうしてもここは浸かっている状況です。宍道湖大橋前については、スーパー堤防工事がだいたい済んでいますから、かさ上げしてありますから、今回の水害では交通止めにはならなかったということです。ここがもう少し(水位が)上がっていて、(交通が)止められていたら、渋滞がさらに大変な事になっていたんじゃないかなと思います。ちょうどこの裏なんですが、昔この電柱から先に「湖東会館」と言われたところがありまして、昔わたしが住んでいた町だったものですから、前回との比較の為にだいたいこの位まで水が来たなあという思い出がありました。確か47年より一つ前にほぼ同じ位まで水害がありました。
「ギャラリー」 47年以前ということですか?
「伊藤」 前にあったと思います。(以下、写真説明に戻る)さっきも言いましたように水が非常に綺麗でしたので、今回は下水道の効果というのは非常大きいなと思いましたね。水が非常に綺麗でしたので子供などが水の中に自転車で突っ込んでくるとか、遊んでいた感じでした。こちらは「合銀さん」が使っている駐車場だったんですけれども、ここの車を押し出すのに昼から行員の方が4,5人来られて一生懸命出すようにしておられました。子供は一生懸命遊んでいます。大橋川にどの程度水が流れているのかなあと思いまして、橋げた付近で写真を撮ってみました。この段階でも水は非常に綺麗な状態で、流れもそう大きくはないかなあという印象でした。「なにわさん」の方では土嚢を積んで水が入らないように対応していらっしゃいました。これは伊勢宮です。伊勢宮の石橋通りはちょっと高かったですけどこれからは全部低いです。飲み屋街は大変な被害に遭ったところが多かったようです。油漏れは殆どこういったところから出てきているんじゃないかなと思います。これが今の新大橋通りで伊勢宮の飲み屋街という事になります。この寺町の「しゅっせ稲荷さん」までの範囲、ここがわたしの認識していた以上に低かったようです。朝日町の交差点ですが、時間の経過と共にこの交差点だけを除いて水がこの辺まで上がってきました。ですからこの後、交通規制に入ってここが通れなくなったんですが、まだこの段階ではこうして渋滞しているように、車が通っていたという事ですので、この中央通商店街さんは相当車での水の被害といいましょうか、冠水した上に車による水の勢いをさらに被っておられました。結構きつかったんじゃないかなあと思います。駅通りもここまで水が来てますけどまだ車両を通していたという状況ですね。まあ、誰も停める者がいないという状態です。半ば大混乱の中で動いていたなあというのが(感想です)。これは昔の「やよい」の立体駐車場です。こちらが人参方、こちらが作橋ですね。わたしが天神町から歩いていったら先程のアベック通りの道路は冠水していましたが、人参方は浸かっていないんですよね。冠水しませんでした。やはり歴史といいましょうか、400年の中で、今までの水害の中で道路を上げ、敷地を上げてきた、特にこの天神町もそうなんですけど、非常に高い位置になっております。やはり天神町、白潟本町が冠水するような事になれば、殆ど旧市街はみんな(水に)浸かるのではないかと言われています。400(年?)の中でやはり今までの経験で、ここまで水が前に来たと、それから道路・敷地というものが上がってきているんだなあというのが実感です。こちらが歩けないのに、人参方では別に歩いてここまで来られました。しかしここを出ましたら雑賀町交差点の方、「岡崎屋さん」の方も冠水していましたし、東側も冠水していたと、ここでまた戻るというような状況になっていますね。ここは本郷町ですが、相当な水がこの段階で上がってきた、お昼を過ぎてから上がってきたなあというところですね。これは作橋からこちらに向けてが「中央小」ですか、天神川沿いですが、ここらへんが大分冠水してきました。これが「岡崎屋さん」の作業場ですね。こちらは相当低いかなあという感じで、冠水してきた様子ですね。これは前の「相互銀行?さん」、今の「中央信金相互銀行さん」ですが、9号線に向けて作橋からこの間が一旦低くなってまた冠水している様子です。こちらが「天神川県営住宅」という事で、天神さんから後ろの方の住宅地、この辺もちょっと低いですから前にも冠水していましたが、天神川がこの辺で溢れているという様な状況ですね。「昔の市立病院」の正面玄関、立体駐車場、まあだいたいここまで今回水が来ました。「NHK」、ですからこのしんじ湖大橋沿いだけは高くなっていましたので浸かっていないという事です。多少(水位が)上がったかなと思われるさっきの時間帯からは、ほぼ一番(水位が)上がった状態のところで、これからは長い間(水位が)殆ど変わっていないなあという状況になります。「合銀さん」の先程の道ですけれども道路が冠水して、(先程は)中央がまだ残っていましたけど、全て冠水した状況です。この段階で今の「合銀さん」後ろの「いづも屋さん」ですか、前に堤防が切れている所があるんですが、ちょうど宍道湖とこの舗道面が同じ高さだったです。さっき言いましたようにここから「合銀さん」がどんと高くなっている理由は、やはり水を入れない様にという事で、新しいビルでは47年の教訓を生かされているなあという事ですね。鳩はのんびりしています。この時のこの大橋の橋げたを睨んでいますけど、大きな波のうねりは殆ど無い状況でした。水も本当に綺麗な状況でした。それでこちらが先程のとめられて報道が来て撮った時に魚を捕まえていた時だと思います。この伊勢宮が先程よりは相当手前(まで)水が出てきたなあという状況です。新大橋から下の公園の方を写していますが、この段階ではもう殆ど冠水状態であった。これは新大橋から少し東本町の方へ降りたところですが、これから先は冠水しています。これは新大橋での橋げたの状況です。これは東本町ですね。東本町のここから大橋川(の水が)大分溢れてきたという状況ですね。この段階で新大橋通りの道路、センター近くまで水が上がってきました。これが最高位の状況だと思います。ここの道路は最終的に完全な冠水はしなかったです。伊勢宮はほぼ全滅状態ですね。東本町の東通りは19日の15時くらいに交通規制をされました。された途端に大橋へみんな迂回をするんで、大渋滞が始まったということです。こちらの幹線道路を止めてしまわれました。それからいろいろ各店舗は掃除が始まりました。それまでは車が通ってますから、とても掃除なんかできる状況ではなかったですね。掃き出すようなことはできなかった。これが先程の天神橋のところなんですけど、まあだいたいここまで水が最高に来たという事ですね。
「ギャラリー」 18時30分ですね。
「伊藤」 はい。これからこの段階では少し下がっていくかと思います。(以下、写真説明に戻る)これが一日明けた時の様子ですね。水(位)は一晩明けて大分下がってきましたけれど、交通規制というものをされた後ですね、全て交通規制がそのまま相当時間残りましたので、みなさん掃き出すのに大変で、シャッター等ももう壊れてしまっているという状況でした。(水が)引いた後ですので駅前を写しましたけれど、ももちろんバス全て止まっておりました。バスは来ていないという事と、地下道への進入禁止という事で防水扉と土嚢で駅前の地下道全て止めてあったという様子でした。相当水は引いたんですが最終的に、この「合銀」の駅前支店が最後まで水が残ったんじゃないかな。昔からここが一番最初に浸水しますよね。ですから銀行というような公共性が高いものが、過去の例からして本当は床を上げておかれないといけない施設じゃなかったのかなあと(思います)。一番最初に店舗を閉めなくてはいけないという状況は如何なものかなというのが、私の個人的な見解です。駅通りが一日明けてもこの状態で水が引いていません。これは駅のコンコースですが、さっきの「合銀さん」前が冠水していますので、サンダルで水の中を歩いて来られた姿を撮ったというものです。これは地下からの車両の出口ですが、地下道に関しては全てこういう事で蓋をして止めてありました。大正町もまだ水が引いていない状態です。こちらは本郷町ですが、冠水が解けて出てきたという状態です。これを撮ったのが、まあ一晩明けたわけですけど、これは天神川の降りていく段なんですが、角にマーカーがしてありまして結構水が綺麗だよというのを意図して撮ったんです。一日明けても水の流れというのは殆ど見えない、濁流なども一切ない、綺麗な水のままでした。これが先程行った階段ですけど殆どこの最後(の段を)残して(水位が)上がったのが、ここまで下がったという事ですね。以上です。
「司会」 次に若林さんお願いします。
「若林」 わたしは学園南というところに住んでいますが、その近くです。(地図を示しながら)総合体育館の北側のところに赤で小さな×印をつけているんですが、それがだいたい撮影のポイントです。19日の19時に撮影しました。申し訳ありませんがこれは携帯の写真なもので、分かりづらいかと思いますが、ローソンがありましてそれを北向きに狙っています。ですから地図上の「学園南2」と書いてあるところですね、そっち方向を×印の辺りから狙っています。水としては南北方向に残っているという風な状態です。あともう1枚もほぼ同じ角度で撮ってますけど、車も走られるような状態でした。以上です。
「司会」 ありがとうございました。今日、写真を持ってきて頂いた方は以上ですけれども、わたしの撮ったフィルム写真を(みなさんに)回しますのでご覧になって下さい。あと、他に写真か見せるものをお持ちの方はいらっしゃいますか? 無ければ、あとはお話という事で、地図を用意していますので、みんなで地図を見ながら一人ずつ話を聞くという風にしたいと思います。じゃあ、青戸さん最初にお願いします。
「青戸」 松江の旧市街地の水害というのは、出雲市やら山間部の水害とは違って、徐々に水位が上がっていくもので、いわゆる濁流に巻き込まれるような感じのものではないという事がお分かりになったのではないかと思います。刻一刻と水位が穏やかに上がっていく、だから子供たちも恐怖感なんていうものが無いんですね。学校が休みになったからと言って喜んで外へ出て遊んでいる。それでまあ「庄助」の大将のように、バケツと網を持ち出して、わかさぎを一生懸命獲っているといったような、そういう風な感じであります。特に低いところ、今の写真でもお分かりになったと思いますが、だいたい新大橋通りから東側がやっぱり低いですね。新大橋通りというのは元々は堀川だったわけですが、これが埋められたのが昭和9年、新大橋が今の様な所に架かったのが昭和9年でございます。ですからあれから東側というのは非常に開発の新しい所でして、大正町というのは大正年間になってから開発され、町並みが出来たから大正町というんですね。松江駅というのは明治40年代に出来ていますが、その時の写真を見ますと葦の中にぽつんと松江駅が出来たといったような状況で、だいたい新大橋通りから東側は開発の新しい所であります。それよりも西の方になりますと昭和町、ここは昭和になってから出来た所ですけれども、昭和の初めまで田んぼだった所です。それから寺町というのは、墓地はだいたい低くて、冠水しておりました。大橋川沿いの和多見町なんかにしても、だいたい南側から、つまり天神川の方からだんだんだんだん水が上がって来ております。だから和多見の本通り、つまり南側の通りなんかは、後ろ側の墓地の方から水がどんどんどんどん来ました。これは47年の水害の時と全く同じでございます。そして、伊勢宮町も低い所ですけれども、新大橋通りから見たらやっぱり東側になります。これも明治以降の町ですから、明治初年の人口は伊勢宮町は0でございます。世帯数は0、松江市史の統計表を見ても分かります。そういう風な新しい所でございます。要するに白潟区域でいいますと、白潟本町、天神町、そして天神川を越えて竪町、この通りは築城以前から土手筋と言われていまして、城下町が開ける前から高かった所ですから、(水に)浸かった歴史が殆ど無いという事ですね。その両端がどちらかというと低いです。今回和多見町なんかは殆ど浸かっておりません。川沿いで、テレビカメラが早くから大橋川の護岸の公園に据え付けられまして、一生懸命撮影しておりましたが、まだ溢れていない。それよりも前に既に、昭和町辺りは水浸しになっておったというのがございます。ですから明らかに道路の排水溝から逆流したものが低い所に溜まっていくという形でありました。まあ松江駅前なども典型的なものですが、47年水害の時には本当に排水溝やマンホールの蓋が、こう持ち上がってですね、噴水のようになったというのをこの目で見ております。今回もやはり同じような形で起こっているという事でございます。以上です。
「司会」 ありがとうございました。では順番にあとお願いします。
「河野」 今回このような水位の上昇というのは、我々河川工学側から言いますと、一面的に+1.96という水位がどこになるかと。そういう観点から考えますと4,50cmくらいですから、どこの辺りかというのは想定がある程度つくわけです。この図面の中に詳細な高さが入っておりますので、それと比較する。それから降雨量は二つのピークがあって非常にまだ少なかったという事から考えて、20余年間こういう洪水に立ち向かってきた、調査をやってきた訳ですけど、それからいくと今回はあまり大きな災害だったとは考えておりません。ただ流速が無いのか非常に(気になります)。宍道湖は約80平方キロですか、90平方キロですか、その時がプラス2.11くらい上がっていますので、通常の水位から1m50くらいで、トン数が分かってきますね。みなさん情報は非常に大切です。何mm降った、流域が何mm降ったというような情報です。その時にですね、今回の教訓を踏まえて何mmくらい降った時に、宍道湖が何トンくらいそこに貯留させる能力があるのかという事が単純に計算できますので、その時にこういう水害が自分の家の前に来るよということを考えられるとだいたい想像がつくかと思います。47年の出水の降雨データというのが出雲河川事務所から公表されています。インターネットから引っ張り出せます。倉田さんから教えて頂きました。引っ張り出して見てみますと、やはりそこに降雨量、当時は3つのピークがあったのですが今回2つのピークがございますので、そこのあたりをよく把握して情報というものを知っていくと、どういう風に自分のところの足元に水が来るのか来ないのかが想像できます。もう一つ重要な条件は、自分が住んでいるところの家の前の交差点の高さが「+1.?いくら」あるのかですね。どの町がどうだこうだ言っても幅が広うございますので、災害を見るときに自分の家の足元の地盤高が「+1.?いくら」なのか。で、今回の時の降雨量がこのくらい、2日間で400m弱くらい降っていますので、その時に足元がどこまで来るのかというのが大事な情報源ではないかと思います。そうすると皆さんが単純に自分の家の前のシュミレートが当然出来ます。で、+1.96ですからそのレベルで地形図の中に引っ張りますとどことどこが浸かるかというのは分かりますから、そういう点で(今回は)あまり大きな水位の上昇ではなかったなと思います。それが九州辺りへ行きますと、僕がちょうど今週にかけて九州へ帰ったおりましたけれども、やはり八代から南がひどうございます。わたしは佐賀の方ですが。激甚災害を2度(経験しています)。100キロの堤防をわたしも工事でやってきたんですけれども、内水の問題でちょうど同じのがあるんです。県道が若干浸かった程度くらいでは、皆さん何も考えないで、もう安心しておりました。やはり強く申し上げたいのは、斐伊川水系で、2000平方キロくらいの流入面積がございます。そこのどこそこで何ミリ振ったという事を、何かどこかからの情報でメモされておいて、何時のときにどのくらいありました、何ミリ降ってるよと、そうしたら水位がどこまで上がりましたと、今回のデータから出てくる。ま、今後検討会かなんかでそういうある程度具体的な河川工学的な話が出てくれば、みなさんの「何だろう、何だろう。」「水はどこまで来るんだろう。」「何ミリって言われてもピンと来ない。」「訳分からん。」という話ではなくて、「400前後の場合は自分の家の前の通りの交差点ではここまでですよ。」「じゃあ自分の家の中に何センチ入るんじゃないかな。」と想定がつきます。そういう点で、こういうわかったようなわからんようなグラフを国交省が出して、得々としているんでしょうが、やはり一般の市民は情報に非常に疎いものですから、数値を言われてもピンと来ない。それを(身近に)ピンとこらせる事、みんなが認識する事が、これからの防災に於いて大事なことではないかとわたしは思っております。今後こういう河川工学的な説明というものを一般的にお話をしていく必要があるんじゃないかと思っています。今日はちょっと時間がございませんのでこれで失礼します。以上です。
「司会」 ありがとうございました。では順番にそちらに回して頂けますか?
「小林」 わたくしの家は出雲市ですので、松江市内の事に関しては皆さんの方が詳しいと思います。ただこの増水時に平日時は松江の方に来ていましたし、あと住んでいる出雲市を出ますと〜町を通って斐伊川土手にすぐ出ます。斐伊川土手からずっと湖北線に沿って出て、それから松江市内に通っておりますので、宍道湖自身の水の減り方などは直接見ることが出来たと思います。ただご存知のように一畑電鉄があの当時事故を起こしまして、一部浜佐田付近で迂回路になった為に、その付近の水がどうだったかは確認できませんでした。松江市内は先程おっしゃったように、内側からの水が側溝から溢れ出て低いところに溜まったのを迂回しながら通っていたので、それは記憶しています。浜佐田は干拓地ですけど完全冠水していまして、あの一帯は通行止めで車が入れない状態になっていまして、それが緩和されるまでに数日かかりました。その水は一体どこから来たのか、宍道湖からの増水なのか、あるいは別のものなのかと思いまして、農協の土地改良区の人を訪ねましたら、自然的に宍道湖が先に増水して佐陀川が溢れて田んぼが冠水したのではなくて、降雨の後、物凄い勢いで田んぼ自身に内側からの水が入ってきたそうなんです。その為に田んぼに冠水しないように、あそこは干拓地ですのでポンプ場がありますので、田んぼで増水した用水路なんかには全部ポンプ場から佐陀川の方に逆に押し出していたそうなんです。ところが宍道湖の増水と共に水位が上がってきまして、佐陀川自身がかなり増水してしまって、溢れ始めたので今度はポンプを止めて川に送るのを止めたそうです。が、もうその時には遅くて、佐陀川上流では決壊寸前のところがあって、そこから水が入ってくる、もう内側の内側の水と出ない水であのように冠水になったという事が分かりました。あと、斐伊川土手です。平田に向けて斐伊川に3本の橋があるんです。灘橋、西代橋、もうひとつ。この3本の橋が、19日水曜日の午後の時点で、危険水位を超えた為に完全に通行止めになりました。どのくらい(水位が)上がったかと思いまして付近にいる知人に尋ねました。一番宍道湖側の橋の手前のところ、これは下に降りる道が付いていたり、土手自身の幅が少し狭くなっているそうです。そこでもう土手の一番てっぺんから30センチ下まで、斐伊川自身の水が増水した為に危険防止のために土嚢が積んで堤防決壊を防いだそうです。土嚢はそのままの状態でまだ残っており、100メートルくらいの幅に重い塊が積んであります。(水が)土手近くまで来たのが分かるのは、斐伊川の内側はご存知のように、本流の脇に浅い草地があるんですがそこにかなり高い柳が植わってます。上流から流されてきた枯れ草やごみが、柳の木のかなり高いところまで、今でもひっかかったままですので、どのくらい水位が上がったかという事はその辺を走れば、実際に見て確かめる事もできると思います。今日頂きました雨量データで見る限り、雨自身は18日夜間くらいでストップしているんですが、その後、急激に水が宍道湖に集められて、最大時が19日中くらいでピークになっています。このあとずっとわたしは平日宍道湖を走っておりまして一番気になりましたのが、雨が止んでから水位が下がるのが物凄く日数がかかっているという点です。台風のように一過性でぱっと来てぱっと降った水というのは、水位が減るのがちょっと早いなと、今までの台風で感じていたんですが、今回の2日間にわたる雨がかなり上流の山の中に入って、一旦そこで蓄えられて、徐々に徐々に追加追加で斐伊川に加算されて、それが掃けるのが遅かった為に水位が下がるのに物凄く時間がかかったような気がします。その間の、塩分濃度がかなり下がっています。これは国交省のほうのセンサーが壊れたのか、21日くらいから突然送られなくなりまして分からないんですが、一応内水面の大橋川データ、それから大橋川の国交省のデータを見てもずっと下がったままが続いているのが気になりました。真水の状態の宍道湖が長期間続いたということが気になりました。あと、大量の有機物が斐伊川から押し流されて来て、それが北側に向かって最初のうちは浮いていたんですが、これはかなりの量です。それが溜まる場所が何箇所かありまして、そこに浮いたままで溜まっていて、数日後に沈んだんですがこれが今度は風が強い日に攪拌されました。普通の風の強い日のいわゆる汚れとは全く違った、ひどい泥状態の汚れを作っているのが大変印象に残っています。それとこれは私自身が見たのではなくて、斐伊川水系じゃないんですが、これも知人からの情報で入って気になりましたのが、神戸川もご存知のように佐田町でかなり被害が出ました。わたしの友人が酪農家で、その知人が同じ佐田町で酪農をしていたんですが、ダムの水が上がるという情報が放送できたらしいんです。その為、牛小屋から牛や主だったものを移動させようと思って、下に下りて先ず最初の段階ではある程度運べたと。次の物凄い短時間の間に急激な増水が起きてしまって、牛が牛小屋の中で首しか出ていない、一頭はもろに流されてしまった。志津見ダムの放水路かなんかが一緒に壊れたらしいですけど、一気増水してしまうと短時間に土砂を含んだ水が急激な勢いで被害を作ってしまうという事がちょっと気になりました。それが同じようにわたしの知り合いが、江の川でも同じような事に遭遇しています。ダムを放水するという情報が来て、すぐ江の川河口の漁師さんたちが、船のロープををゆるめに出たそうなんです。その後、もちろん船の方は被害が無かったんですが、桜町の上流の方で急激な増水があって、小学校付近がかなり水浸しになったそうです。これは普通の集中豪雨のような大雨の増水とは全く違った被害を出している事を、これは情報ながら確認いたしました。以上です。すみません。松江市内の詳しい事が分からなく、申し訳なく思います。
「司会」 ありがとうございました。次、浜田さんお願いします。
「浜田」 浜田と申します。先程倉田さんの次にお話になった方は、失礼ですがお名前を何とおっしゃいますか?
「司会」 伊藤さんです。
「浜田」 伊藤さんにお聞きしたい事がたくさんあるんですよ。わたしは殆ど同じ時刻に写真を撮ったもので、大体わたしも(伊藤さんと)似たように思っていました。徳岡先生からも「天神川付近を歩いたから」というお電話を情報で頂いたりしまして、他人事で無い様に思っていました。と言いますのが、わたしの家はちょうど後ろが天神川でして、刻々と上がってくる水位を見ていたわけです。残念な事は、今、宍道湖の国交省の観測施設が壊れたのかデータが入っておりません。しかしこれ(今日配布の資料)を見ますと綺麗にデータを戴いておりますので、これを頼りにもうちょっと調べを進めてみようかなという気がしております。今年、この大雨の10日前に島根県の地学会というのが大学でありまして、そこでわたくしは2004年の台風や大水をテーマにして、宍道湖の水の立ち上がりといいますか、アップする状況をケーススタディで解析しました。発表時には新聞社は来なかったのですが、あとで電話してまいりまして、話しました。しかし記事に取り上げられませんで、わたしはああいうのは新聞がもっと報じてもいいんだけども、そういう知識が無いのかなあと、書くべき力が無いのかなあと思いまして、非常に残念でした。そうすると(今回の)雨がありましたから、あれが報じられていましたら随分宍道湖沿岸の人は助かったんじゃないかなというように思いました。そういう事で新聞社の方が今日来ておられるかは分かりませんけれども、もうちょっとこういう地学的な問題について丁寧に報道することを希望します。わたしは皆さんのご熱心なお話を聞いておりまして、中でもこのデータを揃えられた倉田さんに敬意を表しているわけです。これを見ますと水位がTPであります。TPと言いますのは海図の0mよりも16cmくらい高く、実際の皆さんがお持ちになります暦の海図の値と少し違うかもしれませんが、まあ役に立つわけであります。わたくしが感じたのは先ほどからお話がありました、今度の水害の水が綺麗だったと、これが一つのヒントだと思います。わたくしが学会の時の申しましたのが、39年の豪雨と47年の豪雨とがどう性格が違ったかという事でした。39年の豪雨というのは島根半島を中心に降っていたわけです。殆ど前線が動きませんでした。島根半島というところは、地学会の10周年記念で講演しましたが、境港で埋もれた記憶がありました。一晩で干ばつの年に400mm近く境港を中心に米子辺りも降った水害がありました。そういう珍しい雨があるのに一つも新聞に載っていない。日清戦争?が始まって戦争ブームで、台風や局地豪雨について報道しないのかなと思っておりましたが、どうも解せない。その後でその年に大きな台風が来まして、死人や水害が出たりしたんですが、どうもこの局地豪雨というのは何にも取り上げていないなと思っていましたら、今度の雨で境港が400mm越しまして、早い段階から450mm越しておりました。境港へ電話して聞いてみましたら、降った雨が完全に引いておりました。砂地ですから、他の土地ならば数100mm以上降ったら水害が起きてもおかしくないはずなんですよ。もちろん水害はあったんでしょうが、短時間で引いている。砂地というのがいかに松江あたりと状況が違うかという事です。わたしも過去の論文でそのような事を書いておりました。今回それを裏付けられたように感じました。もう一つ47年豪雨というのは奥出雲、大東から大田辺りにかけて一番強く600mmくらい降っています。今度の雨よりも全部プラス200mm以上降っているわけです。ですから47年豪雨と単に並べて、松江の水害の有無を比較する態度も解せません。過去の豪雨とうまく絡み合わせる事ができていないです。ひとつは水が非常に澄んでいたという事は、前日に既に隠岐の島と島根半島に大雨が降っていて、潮位が上がっていました。これは今日も気象台と連絡を取って調べております。ですから海水が松江の方に流れて来ている筈です。それで松江の水位が上がってきれいだった。奥出雲から流れてきた濁水とは違うという事であります。ここのところをもう少し解析して次にまとめていきたいと思います。そういうふうないろいろな大雨の時の自分の印象と前例とを比べてみて、その時の特性を把握していきたいと思っています。防災担当者とこういうところで話したいんですけど、わたしは今は市や県との交流がありませんので、話をする機会がありませんけど、こういう席を設けて頂いて話をさせてもらいました。以上です。
「司会」 ありがとうございました。
「ギャラリー」 ちょっと質問ですがよろしいでしょうか?
「司会」 どうぞ。
「ギャラリー」 向こう(島根半島側)にたくさん雨が降ったので、逆にこっち(松江側)へ上がっていたという事ですね。
「浜田」 それは徳岡先生がお詳しいかと思います。
「ギャラリー」 そうなると塩分濃度も当然上がってくるわけですね。そういう資料は出てくるのですか?
「浜田」 ええ、出てくるはずだと思います。ですから徳岡先生に後でご相談したいと思っています。大橋川の底?そこ?が微妙なんで、簡単にわたくし達が考えるわけにはいかないと思うんですけれども、どうも今回四六時中、川を見ておりますと47年の豪雨とはちょっと違うと思いました。その時隠岐の島で前の日、前前日辺りから大雨が降っているという事は放送しております。島根半島全体に450mmくらい降ったと。それは39年豪雨と一緒だと思います。それが後の方では奥出雲も大分降っております。倉田さんからお配り頂いた資料からでも、私の持っているこういうデータから見ても、奥出雲は結構降っています。後は・・・・。
「ギャラリー」 わたしは南田町に住んでいますが、水位が19日の午後くらいからずーっと上がりまして、夜の8時くらいが一番高かったと思います。
「司会」 それはどこの川ですか?
「ギャラリー」 北田川の流域の一部になると思います。安来に住んでいる兄も心配して電話をかけてきて、いろんな話をしていたら「安来港」の水位は普段と変わらないという言い方をしていたんです。だから中海は(水位が)低いので、いずれすぐ引くんじゃないかというような事を言っていましたけど、今のお話ではちょっとその辺りが、外から入ってきた水という辺りが少し分からないという気がしました。
「浜田」 大雨季の雨というのは殆どがそれだけで済んでしまっているわけです。これが9月になりますと今度は台風が絡んでまいりまして、台風のコースによっては高潮が島根半島沖に起きてまいります。高潮が起こるのは台風のコースによって違います。台風のコースによって違うという事は風向きによるということです。だから逆に風向きによって高潮が起きない場合もあります。高潮が起きた場合に「遅れ高潮」といって、台風のときに高潮が起きてから、10時間くらい経ってから高潮が起こる場合があります。そういうふうに逆に襲ってくる場合もあります。ですから安来辺りでも夜に台風が来て、朝起きてみたら高潮が来ていたという経験もあるわけです。ですから今度の大雨で松江が浸かったその事だけを話題に絞らなくて、その後台風が絡んでいる、遅れ高潮がもしあったとしたら大橋川がどういうふうに影響を受けるかというようなことも頭の中に入れておく。そうしないと内水が上がる、雨が降っていないのにどうして潮が上がったのかということになってしまいます。
「司会」 じゃあ、次順番にお願いします。
「発表者」 わたしは境港から来ました。今日は話の準備をしてきていないんですが、今お話を聞いていて若干ちょっと感じたことがありますので申し上げます。境港は今回総量500mm降ったそうです。未だかつて無い雨が降りました。境港はもともと水害の無いところで、皆さんそう思っていましたけれども、今回は若干の水害が出ました。高潮が来て海から海水が入ってきて雨と一緒になって海岸地帯が水に浸かる事は(今までにも)あったんですよ。今回もそういうことがあるんじゃないかと思って、親戚の者が海岸の近くに住んでいて、ちょうどそこで農地を作っています。よく台風の高潮の時、海水が入ってきて農作物がだめになるんですね。今回も電話をしてみたんですが、水に浸かっているけれども高潮ではない。海からの水が来ていないといっていました。案の定、陸の方から水が来て浸かっていましたけど、水が引いても農作物は枯れていませんでした。境港辺りの海水に浸かったら完全に農作物は枯れてしまいます。そういう意味では高潮、海水が入ってきてそれで水に浸かったところは無かったかと思います。未だかつて無い大雨でしたので、わたしは自分の地域を夜にずっと回っていましたけど、床下浸水のところもありましたし、かなりのところが水に浸かっていました。弓浜地帯の畑は殆どが冠水に近い状態になっていました。多分行政もそこまで来るとは予測していなくて、あちこちから電話があって慌てて対策本部を設けたような実情だったようです。ですからわたしも、土嚢を慌てて業者に頼んであちこち持って回りました。境港は川はありません。水を引くために掘った川が3つあるんですが、3つとも川に面した道路は通行止めにしていました。以上です。
「浜田」 付け加えます。水の引きが非常に早いというのがありましたが、冠水は確かにあったということは聞いております。それともうひとつ、結局境港だけでなくて島根半島全体の雨などが大橋川に流れているということが言えると思います。塩分濃度がどうだったかということも詳しく調べてみないといけないですけれども、奥から流れてきた水によって松江が浸かったというよりも前の段階で、水が島根半島の方から流れたか、あるいは境港辺りから塩も低減でプラスになったんじゃないかという気もします。そこの辺り、先生に後でお聞きしたいと思います。
「司会者」 ありがとうございました。
「ギャラリーA」 今の境港の話ですけれども、分かりやすく言うと、でこぼこがあって低いところへ大雨が貯まっていったということじゃないですかね?
「発表者A」 そうですね。
「ギャラリーA」 何年か前に安来の方も浸かった高潮がありましたね? あの時と今度との関係はどうですか? どのくらい差がありましたか?
「発表者A」 ちょっと、私どもも調べてなくて分かりません。海岸の方へも行っておりませんし。ただ、親戚の話ですと浸からなかった(高潮ではなかった)という事でした。
「大谷」 米子から来ました「美しい中海を守る住民会議」の大谷と申します。いつもだったらすぐ弓浜地域のネギ・タバコ農家に走るんですけど、今回の雨の最中は、ちょっと事情があって走りませんで、雨が上がりましてから田んぼをぐるっと回ってみました。やはり冠水はしていますけど、ネギやタバコを収穫していらっしゃる方々が「被害が無かったのは、下から海水を押し上げてくるのがなくて、引いたのが早かったからだ。」とおっしゃっていました。今までの被害は海水の問題もありますけど、引かないという高潮とドッキングしたようなことがありましたけど、農家で仕事をしている人は本当に長年にわたって森山の堤防とか本庄工区の堤防が出来ましてから、水が引きにくくなって大変な被害を受けていますので「こういう状態を早く何とかして欲しい。」とおっしゃっています。今日お邪魔しましたのは、本当は米子の側では「これで大橋川を早く拡幅しろ」という風潮になるのが心配で、勉強しながら本当にご一緒にどうしたら一番いいのかをみなさんと考えていきたいと思って参加しました。
「司会者」 はい、ありがとうございました。次お願いします。
「伊達」 わたしは西尾町の高台に住んでおりまして、今回は水害の状況は全然分かりませんでした。人に聞きますと3つの大橋川にかかる橋が通行止めになって、一つだけ宍道湖大橋が通れる。ひどい交通渋滞で、今出掛けたら動きが付かなくなるからという事で、出かける事もしなかったので、全然状況が分からなかったんです。昭和47年の水害も、当時西川津町の高台に住んでおりましたので、わたしの被害はありませんでした。この時は大学前からバス通りに沿って大輪町へ行こうと思ったらだんだん水が深くなって、胸まで来ました。ひざ下くらいのバス通りだけを通って県庁に出まして、宍道湖大橋まで出て大体状況はわかったんですが、今回は皆さんから色々お聞きして初めて状況が分かった次第です。47年と今回を比較してみると、47年は斐伊川流域で440mm降りまして、今回は378mm降りました。3日間くらいの水量です。47年の時には宍道湖の水位が2m40cm上がったんです。ところが今回は新聞で見ますと最高が196(cm)で、47年と比べますと44cm少なかったわけです。それだけ被害も少なくて済んだのだと思います。今日写真などを見せて頂いていい勉強になりました。この程度の雨でも松江で影響あるとわかり、国土交通省や県が薦められている3点セットが完成すれば、事態も大分変わるんじゃないかという気がします。それから今日お聞きして不思議に思ったのは、溢れた水が非常に綺麗だったという点です。宍道湖の水が綺麗だったかと思います。昭和54年頃、県が水質管理計画に基づき中海宍道湖を調査した事があります。大雨の時に斐伊川から流れ出る水の量と水質とを比較検討しているのですが、水の量が多くなるほど水は汚くなる、したがって汚れた水が洪水時には大量に入ってくるという状況が報告されています。洪水時に斐伊川から宍道湖に流れる水は、下水処理されるものよりむしろ、普段溜まっているごみや、畜産の排泄物、田んぼや畑の土壌そのものが多量の肥料を伴って入って来ますので非常に汚いはずです。そこらあたり、水質も各地点で検討されたのかどうかということも非常に興味を持っています。中海流域で酪農をしている地域を見に行く機会がありましたが、1戸あたりに20頭くらいの乳牛が飼われていました。聞いてみますとその地域には500頭くらいの乳牛が飼われており、排泄物は小屋の中に貯めてあります。小屋から溢れて外に出ているものもあります。ですからこの間の洪水ではそれらは殆ど中海に流れ出たのではないかと思います。宍道湖流域でもあり得る事だと思っていましたが、今回の水が綺麗だったという事で、水質について興味を持っています。以上です。
「司会者」 ありがとうございました。
「ギャラリー」 ちょっとすみません。水が綺麗だったという件で気になる事があります。19日のお昼過ぎにわたしが松江に入りましたところ、溢れた水は本当に綺麗だったんです。松江に向う途中斐伊川の神立橋を越えた段階で、先の橋が通行止めになったので迂回をしました。その時見た斐伊川の水は、かなり濁っていました。松江の水はどうして綺麗なのかわたしも疑問に思いました。
「ギャラリー2」 斐伊川が濁ったのはそれから後なのでは? 初めは島根半島の…。
「ギャラリー3」 付け加えます。半島の中海側にいましたが、中海の水は濁って大変汚かったです。5日間くらいは魚が釣れないんじゃないかという状態でした。例えば弓浜半島は冠水しましたが濁流ではないですから水は非常に綺麗でした。
「伊達」 川から湖に入ってくる水は水量が増えれば非常に汚くなるはずですがね。調査もされておりますし、それらの汚濁物質は下水道では取れませんから。
「ギャラリー4」 僕は20日の日に、先程写真に出ました大橋を渡って新大橋を渡って(?)大正町を通って天神川に出て天神さんを回って帰ってきました。20日の9時から9時30分くらいの天神川は本当に綺麗でした。その綺麗さには驚きました。それで宍道湖はどうかと思って松江大橋の上から見ましたら、北側の水はかなり濁った水が多くて、南側は比較的綺麗な水が多い。真ん中はそれが幾筋にも混じったような感じにも見えました。1日たった20日の段階でも天神川などでは綺麗な水が流れていました。先程どなたか写真の説明で「水は殆ど流れていませんでした。」とおっしゃっていましたが、僕が見た20日の9時から10時くらいにかけては、かなり流れていました。とうとうと流れる感じですが綺麗でした。
「浜田」 18日の夜半から19日の早朝にかけて横田、赤名、川本、赤木辺りにたくさん雨が降りました。その雨がようやく宍道湖に流れてきて濁り出したということではないでしょうか。
「伊達」 後から濁ってきたという事ですか?
「浜田」 そういうことです。雨の分布などをもう一度検討しなくてはいけないと思うくらい、47年の時とは違います。
「ギャラリー5」 今回の雨は松江市の小さな地域でも差があるんではないでしょうか。
「浜田」 そうかもしれません。
「ギャラリー5」 局所的で、橋南の方が多かったように思います。47年とは雨の降り方が違うような気がします。
「浜田」 局地豪雨と集中豪雨という言葉があります。松江の気象台と鹿島の観測所との違いもあります。雨についても感心を持って頂きたいと思います。
「司会者」 他に何かありますか?
「ギャラリー6」 宍道湖の場合、風の強い日は泥水なんですよね。つまり浅いから、泥や砂が舞い上がり、風の無い日には澄んでいるということです。この間水害が一段落した風の強い日がありましたが、大橋川の水は茶色でしたね。風の強さが気圧の関係ということになっていくんでしょうけれども、そういうことも理解しておかなくてはいけないでしょう。水害が一段落した21、22日にかけて市の担当官が来まして、私の日頃の言い分が正しい事がこれで分かった、と言っておりました。それで一つ気になったことは、下水道との関係です。先般の下水処理場に流れ込んだ汚水の量は、普段の3倍と言っていました。それで処理ができなかった分は、そのまま中海に流入したということです。松江市ではトイレが使えなくなったところが非常に多いんですよ。白潟区域内でも。下水道の各家庭にあるマス、公共のマスが浸水したところは、蓋からぼこぼこ泡が出ているんですよ。水が反対に中に入り込んでいるわけです。それで下水管が満杯になって、トイレを使おうと思っても溢れてくるから使えなくなるわけです。それで市も慌てまして仮設トイレをあちこちに設置しました。当初は公民館を利用して下さいというような事を言っておりましたが。下水道工事が47年とは比べ物にならないくらい進んできているわけですが、公共マスも含めて、蓋の構造を今後変えていかなければいけないのではないかと思います。特に冠水しやすいところでは、雨水が中に入らないようにしないと中海の水質が益々悪化する恐れがあると思います。米子の下水も中海に流れるようになっていて、2次処理までしかしていないと聞いております。
「ギャラリー7」 3次処理までしています。
「ギャラリー6」 そうですか。いづれにしても冠水する場所にマスがあるところでは、そこから必ず雨水が入り込む、水洗トイレは使えなくなるということです。今後の対策として市の方へ要望として伝えておきましたが、最終的にはお金の問題だそうです。
「司会者」 ありがとうございました。
「相崎」 18日の夕方にずっと眺めて歩いて回ったんですが、大橋川はかなり水位が高くて、濁った水がとうとうと1.5〜6mの流速で流れていっている感じでした。多分中海側から上がってくることは無い状況だったと思います。実感として体験したのは20日に橋が通行止めになりまして、島根大学から橋南の方へ向うのに物凄い渋滞で、大学から四季が丘まで1.5時間くらいかかりました。こりゃたまらんという事で大学に戻ろうと思ったんですが、脇道をずっと通りまして中海大橋の方へ回りましら10分くらいで大橋に辿り着きました。混んでいる道は物凄く混んでいるけど、混んでいない道は混んでいないという事で、交通整理をもっとうまくやってもらえれば、皆さん困らなかったんじゃないかな?と思いました。後は、徳岡先生からも言われたんですが、水質が急激に変わってきているという事で、本当はそこら辺をもっと調査しなくてはいけないんだと思うのですが、なかなかちょっと手が回っていないところでありまして、状況からするとこの間の97年のシジミが大量に斃死した状態と大変よく似ていますので、そういう状況が起こりうる可能性がありますので、何か注意しておいた方がいいんじゃないかなという風には思います。そんなところです。
「司会者」 ありがとうございました。それでは次の方。
「発表者」 私は水が出る前日、松江市内を他の用事で回っておりました。卸団地、競技場、八重垣葬祭の前を通って八重垣さんを回りまして、最後に檜山トンネルの高台に保育所があるんですが、その高台で貯枡が詰まって、一生懸命保育士さんが開通させようとして、雨の中作業しておられました。それが抜けると下の道路へざぁっと流れ出るわけですよね。高台でもそういう風に水路が詰まっているような状況でした。それから9号線へ出まして八幡の方へ回り武内神社から大橋川に出まして、大橋川沿いをずっと西に向かって走りまして最終的には大橋館のところへ行きました。大橋館では水がひたひたに来ておりました。さっき写真を見せて頂いたのですが、合銀から大橋川に入ってくるところの水が非常に綺麗で波も立っていなかったという話でした。わたしが知る限りでは大橋川は普段でもさざ波が立っているような形で、水の流れがよく分かるところなんですよね。それが今回は水も綺麗で波も立っていないということでして、果たして流れていたのかどうなのかという事が、ちょっと疑問で印象に残りました。今回皆さんのお話をお聞きして、中海の方では水が濁っていたとか、松江大橋近辺では水は濁っていない、また斐伊川では濁っていたとか。そこら辺の水の流れというものがこれから将来、大橋川の拡幅に影響してくると思いますので、研究課題になんじゃないかなと思います。以上です。
「司会者」 ありがとうございました。次の方。
「発表者B」 米子の南部町というところから「中海を守る住民会議」の一員としてお邪魔しております。中海の水質につきましては戦前から目の前に生活していた者として気にしておりまして、この運動にもずっと係わっておるような次第です。この度の雨はわりと時間的には長い間かかって降ったという事と、斐伊川の上流域の川上の降り方も個々にそれぞれ異なるという事で、3次元というか4次元というか5次元くらいの考え方でないと、大橋川から米子のほうの水利の事とか、〜のほうの事は考えにくいなあと思って、だんだん難しくなったような気がして、困ったなあと思っております。これからも島根県も鳥取県も、水の流れも風の流れも、県境はありませんので、要は川上と川下の関係ですので、協力して悩みを打ち明けて、お役人さんを説得して、いい状態になるように頑張りたいと思いますのでよろしく協力をお願い致します。
「発表者C」 先程写真で出ておりました、山陰合同銀行本店ビル、冠水をしていた道路から2軒目に住んでおります川井と申します。幸い浸からずに助かりましたけれども、家の前まで水が責めてきました。ずっとこの地区に住んでいますので、水害の体験はこれで3回目になりますけれども、今回は先程からお話にあるようにちょっと変ったパターンの水害だったのかな、と思っております。今までに出ていないような話を探して申し上げます。ひとつは、水辺に住んでおりますので当然気になりますから18日の夕方6時からほぼ二晩徹夜で3時間おきにこの周辺の和田見から寺町界隈、天神町、天神川も含めてくるくるくるくる見て歩いていました。その中で水位も気になったんですけど、人間ウォッチングをしておりまして、どのように皆さんが対応されるのか。やはり経験というのは貴重でございまして、ある地区は70%を越える高齢化率なんですが、そこでは畳を水に浸けずに済んだ家が殆どでした。3軒だけ見事に畳をダメにされたんですが、これは47年以降に入って来られた方々なんですね。皆さんちゃんとした準備をして、浸水を待っていたみたいなところがありまして、非常に冷静に対応しておられる、青戸さんのおいでになる和田見なども非常に早い対応をしておられました。独居老人のところへも、みんなで声を掛けて歩かれたりしておられました。やっぱり経験というのは大きいんだなと改めて感じました。かえって若い人達が慌てておられたという事がございました。もうひとつは、人災という点ですね。先程青戸さんが下水道の話をされましたが、もうひとつの側面がありまして、確かにいくらかは枡の蓋から漏れていたかもしれませんが、もっと大きかったのは、敢えて枡の蓋を開けて水を流したところがいっぱいあったわけです。これは自分の敷地の中の水を早く逃がしたいと。で、ぱっと気がつくと此処にいいものがあるじゃないかという事ですね。これを抜いて水を早く流す。それからもっと酷いのは道路のマンホールを敢えて開けて、冠水している道路の水を流すというような行為があちらこちらで実はあったという事を、松江市が確認して報告をしています。これは今後対策を考えなくてはいけないと。そのことによって、ご承知のように下水道というのは9号線にある大きな本管に向かってアップダウンがありますから、ポンプを使って上げては持って行くと。このポンプの能力が追いつかなくなってしまって、支川が詰まって使えなくなったトイレがたくさんあったという事実があったようでございます。これは紛れもない人災になります。東京のように雨水も流す下水ではないものですから、何故こんなことが起きたのかと松江市も慌ててしまったという事だそうです。それと47年以降34年間も水害がなかったというのは奇跡的だという人もおられますが、その空白が、こんな時にはどう対応すればいいのかという事を忘れさせてしまっています。わたし達は浸かっている地区があると聞いた時には、もう絶対車で動いちゃいけないんだと思って、自転車のかごにサンダルと長靴とタオルと合羽を詰め込んでともかく出発をしたという事なんですけれども、街中に住んでいる人間が少なくとも車で動かなければ、かなり緊急車両の交通も確保できたと思うんです。しかし何故か皆さん、足元が濡れるのが嫌なようでして、自宅からどんどん車で出かけて行かれる姿をいっぱい見ました。長らく水害が無かった事によって、こういった時にどういうふうになるんだろうという想像力がもう無くなっちゃってたんだというところがありまして、行政も特に自家用車の規制や自粛のお願いもしなかったわけであります。これも都市部に住んでいる人間としては少し考えておかなければならない事かなあと、反省をしているわけであります。あまり今まで出ていないようなお話をさせて頂きました。ありがとうございました。
「司会者」 ありがとうございました。次の方。
「山口」 それではそれこそ今まで出てこなかった話という事で、今日石倉さんが来られなかったので、代弁させて頂きます。島根大学の山口です。昨日おととい、中海の調査をして来ました。状況は、表面から水深4 mくらいまでが塩分が2psu。というのは普段の宍道湖よりも低い塩分の水が、中海の殆どを占めていました。要するに中海に行った宍道湖の水が流れて溜まっている状態ですね。今回はみなさん大橋川関係で集まられた方が多いので、浸水被害のお話が多かったんですが、漁業被害は恐らくこれから出てきます。しかもかなり酷いものになっているようです。一緒に調査をしている石倉さんという漁師さんはいつもアサリを獲っていらっしゃるんですが、アサリが全滅状態という事です。塩分が普段は10〜20psuある中海の汽水に棲んでいるアサリが、殆ど真水に近い状態にさらされてしまっているからです。しかも水深4mくらいまで、まぁアサリがいるのがだいたい水深3〜4mくらいですから、そういうところが淡水化してしまってアサリが全滅状態であるというわけです。この状態で親貝が死んでしまっているとすると、優良資源としてのアサリの回復にはまだ2、3年かかるであろうという懸念があります。あと、先程相崎先生も触れられたように、シジミは丁度今が産卵期なんですけど、産卵期にこういうように真水状態にされされると子供を産めなくなります。ひとつは先程おっしゃった斃死もありますが、来年、再来年の子供の資源、再生産が減ってしまって、来年あまりいいシジミが獲れないという事にも繋がってきますので、そこらへんをこれから気を付けて見て行きたいと思っています。いづれにしてもさっきからお話を聞いていると、宍道湖の水が中海に流れていったわけですけれども、それに対して先程海水が入って来たのではないかという事なんですが、実は底の方には海水が入っていまして、底の方の水は塩分が高いです。水深5、6mの水は塩分が高いですが、上の方の水は真水のようなに近い状態になっていますので、それが大量に宍道湖側から中海の方に流れて行っている状態であると。海水がもし逆流したとするとごく一部ですね、大量に水が流れる事によって下だけ無理矢理入ってきた海水がそれによって少しだけ上がるっていうのがあって、そこだけ塩分がちょっと高かったのかもしれません。と言うのは、中海の大橋川の方、つまり上流側の方が塩分が2.7とか2.8とか、まぁ3くらいあったんですけど、逆に江島、境水道側の方の塩分は1.いくらとか、低いんですよ。ですから、海水を少し巻き上げているという事は少しはあるかもしれないです。それでも全体としては塩分が低かったという事が現状です。これから多分、そこらへんの解析はデータを取っている先生もいますので、近いうちにはきっとどこかで出てくると思います。
「ギャラリー」 ま、今の事はわれわれ子どもの時の体験でよく知っているんです。夏になると毎日宍道湖で遊んだ経験がわたしはあるわけです。波の高い時は底の海水と混ざり、海と同じようにしょっぱいんですよ、宍道湖は。ところが波の無い静かな時というのは、本当に塩分が薄い。常に宍道湖には船道というのがありまして、魚町はずっと岸に近いところが船道になっています。嫁ヶ島に向かってずぅっと船道があります。それで船道のところだけは凄く深くなっています。深い所では6mか7mくらいあります。それからちょっと出ると膝か腰の辺りくらいまでの所があるわけですね。潜って下の方でつい誤ってこくんとやると、海と全く変わりません。ところが上の方で飲んだ時は真水に近い状況が普段からあるわけですから、確かに雨が降ってたくさんの真水が流入すると当然塩分が薄くなる。これは自然の摂理じゃないかなと。塩分濃度が高ければ高くなるほど重くなるそうですから、下へ潜るわけですね。もちろん、そういう点、自然の摂理も充分考えていかなければいけないなと思います。わたしの子供の時の体験から申し上げてみました。
「山口」 ちょっとだけ追加します。普段の塩分が低い時と大分違うのは、境水道までそういう状態だったという事なんですね。アサリという視点で言いますと、時々中海の塩分が10psuまで下がるので、そういう時は中海の中のアサリが死ぬことはよくあるんですが、境水道のアサリは残っていてそこから子供が分散するんですね。ところが今回は境水道まで塩分が下がってしまったので、そこの親貝が死んでしまっているというのが非常に怖いですね。
「伊達」 境水道のアサリの住んでいるところは2mより浅いところですか?
「山口」 だいたい漁師さんが獲っているのは3mとか、鋤簾で獲りますんで、鋤簾が届く深さがだいたい2、3mなんですけど、4mくらいまでは見たんですが、そこもやられていました。5、6mまでいくと残っているかもしれません。
「伊達」 4mくらいまで非常に薄かったわけですね?
「山口」 普通だったら塩分躍層が2mくらいまでは甘くって、3、4mで躍層があって、5、6mで・・・。ここがもう殆ど無くって、どおーんと。低い・低い・低い・高いみたいな、4、5mくらいまでどおーんと真水状態でした。
「大谷」 本庄工区の方はお調べにはならなかったんですか?
「山口」 今回わたしは調べてないんですけど、調べた先生の話によりますと、あそこは今はまだ少し高いそうです。西部承水路の交換であそこは時間が遅れるんです。これから下がっていくんです。
「司会者」 では一通りみなさんにお話して頂きました。予定されている時間があと僅かなんですけど、案内していましたが今日の趣旨としては、これだけたくさんの方がいろんな事を見たり聞いたりしているんで、折角なんで一度いろいろ報告しようという事でした。それでは後は特に言いそびれた事とかありましたらお願いしたいんですが。河川・支線の水位変化、浸水状況、住民の水防活動、情報伝達、被災後の影響という事で、一応項目に分けさせてもらったんですけど、何かありましたらお願いします。
「発表者」 わたしの住んでいるのは南田町の東区、早川町の入口になるんですが、丁度天守閣が真西に見える道路と思って下さい。わたしの父親の話などを聞いていましても、「まあだいたい南田町で一番低いのはうちの前の四つ角あたりだ。」と言ってたんですよ。本当に夜中からひたひたひたひたと、全然分からないのに、車が通るとざあーっという音がして「何じゃこの音は?」と思って、もう一台通って初めて、あれが18日の夜中でしたが、水が来たという事が分かったと。どこからも何の連絡も無かったですね。自分で見て、こうだったらどう動こう、ああ動こうというような事を自分ひとりで考えにゃいかんという事が、これは恐ろしい事だなという気がしました。次の日の朝になったら、夜中からかもしれませんが、わたしの家の前に松江市の役人さんが立っていて、車だけは通さないんです。そのうちにバリケードって言うんですか、鉄の物を置いて通れなくしている。それはするけど、住んでいる住人には何の連絡もない。わたしがたまたま四つ角に出ていると、通った人が「この辺りはまだ20cmくらいは水位が上がると、松江市の人が言っていました。」と言うんですね。「そんな事をしたら家は床下浸水になるわ。」と、今度は土嚢の心配をしなきゃいけないですね。ところが土嚢というのはその前の日、19日に聞いた話で、もうとにかくどこにも無い。じゃあどうするか?古いタオルを出して来て半分に折って、両側をもう9?歳の母親に縫わせて、後ろから土を持ってきてそれに詰めて、それを家の通気口の下に押し当てて、中に入らないようにというふうな事をしました。まあ結果的にそれは心配要りませんでしたけどね。後で行ってみて、東本町4丁目の例の児童公園の、写真に何度も出てきましたけど、水がざあーっと入って来る様なところ。47年水害から34年たっても、あそこのところに何の手当てもしてないというのは、どういう事なんだろうかと。こんな事をしてて、やれ「大橋川は2m堤防を上げないとダメです。これをやれば150年に1度の大洪水が来ても大丈夫です。」と。これはどこの誰が、誰の為に言っているんだろうと、随分腹立たしい思いがします。だから、今回丁度いい高さで済んだといっても、これでも浸かったところはあるんですからね。浸かったところに対する手当てをどうするかというのを、箇条書きにでもしてどこを何と、何と、何と、何っていうのを、ざっと出して、それをやる為の金はじゃあ、なんでするかと、どこの金を使ってどうするのかというのも含めてやるような事をしないと、拡幅をして、堤防が出来て、完璧なのが出来てというような事を言っていると、またこういう事になりかねない。今の温暖化の問題やらいろいろ考えると、巨大台風が来るだのいろんなこと言いますわね。だからもっとそっちの当面の対策をどうするのかということにシフトしないと。この前も知事さんの話を聞いていて、「ともかく大橋川を3点セットのひとつとして拡幅しておれば大丈夫なんだ。」みたいな「大丈夫だった。」か「大丈夫なんだ。」なんだか分かりませんが、ああいう言い方は随分住人にとっては危惧、神経を逆なでされるという思いがしました。それだけは是非言って帰ろうと思って来ました。
「飯野」 土嚢は急に集めようと思っても無理なんで、水害の時には水嚢を使えばいいんですよ。ゴミ袋を二重か三重にして、水を汲んで縛って、ダンボールの箱に押し込んで入れちゃえば、土嚢よりはるかにきちんとした便利なものが出来ます。そういう情報も実は市民にきちんと伝わってこないんですよ。土嚢なんて緊急の時に集まる訳が無いんですから。後処理が大変なんですよ。でも水嚢だったらビニールを破いて流せばいいんで、こういう水害には一番有効なんです。
「大谷」 大橋川問題を巡っては鳥取県側と島根県側と対立させているような印象をわたしは強く持っているんです。今のままで中浦水門のところ、境水道を倍に広げて深く掘って、温暖化で水位は上がる、高潮と洪水がドッキングした時に本当に弓浜半島がどうなるかという問題を抜きにして、また島根県側が特にそうなんですけど、本庄工区の堤防を一堤だけ開削して大海崎は開削しないというやり方の中で、本当にこのまま大橋川を拡幅されたら、弓浜半島というか、特に「渡」というのは直撃される危険性が大だと言われているんですけど、是非そういう問題も含めまして、両県のわたし達住民としては、本当に両県がこれから水害に遭わない、しかも中海の状態を先程山口先生からもお話がありましたけれども、本当にいい状態にしていくにはどうしたらいいかということで、わたくしは今回、神戸川の問題ですとか、あまり問題にならないで放水路の問題ですとか、ダムがこういう状況の中でどうなるのかというような事が、あまり話し合われないで大橋川を広げたらというところにいくという点を大変非科学的だと思うし、今日、建設省がいらっしゃるかどうか分かりませんけれども、工事を進めようとする側にとっては、大変都合のいい話かもしれませんけれども、住民の側としては本当に総合的に考えていくチャンスにしないといけないのではないかと思って、今日は鳥取県側から5人来ているんです。真剣に島根県の災害もわたし達としては大きな問題だと思っています。是非これからこういう勉強会をさせて頂いてご一緒に治水も浄化もお魚の獲れる海もどうしてもやっていきたいと思っていますので、また勉強させて下さい。
「発言者」 ちょっと今の事に関連して、市の担当者が言っていた事ですが、今の計画でいくと上流と下流の喧嘩になりますね、というような事を係官自身が言っておりました。上流側というのは宍道湖に近い側でして下流の方は中海側という事になります。そこでこの問題が解決するためには、何としても中海の干拓地計画を中止にしたという事、堤防だけを残したという事は、環境を大きく変化させる根本的な問題になってきているとわたしは前から感じております。それで森山堤防だけ50mの開削という事で、島根県と鳥取県で妥協しておりますけれども、わたしは少なくとも大橋川の川幅と同じくらい開削しなければだめだなあと。大海崎堤防も含めてです。これが元の中海を回復させる一番大切な条件じゃないかなあと感じて、行政の方にもそれを言っておきました。実は島根県の有力な県議にもその事を話しておきましたので、鳥取県側と協力しながらこの宍道湖中海水域の環境問題と絡めながら総合的に解決していく問題じゃないかなと常日頃考えています。宜しくお願いします。
「発言者」 わたしは今回の水害で感じた事は、原因が外水で宍道湖の水位が上がった分なのか、内水なのか、複合なのかという事がハッキリ言えませんけど、ただ都市の弱点をついた水害でしてやっぱり今日の新聞にも出ていましたけど、外水の大橋川の拡幅と同時に、内水対策をこれから力を入れてやっていくという事でした。今日は水害の報告会という事で、正確な被害の状況を話し合う場で、被害に遭われた人の身になってどうしてそれからそういう事をする事ができるかと考える。今回の雨では大橋川は決壊しませんでしたけど、もう100mm降ったらはけが悪いので、30cm以上上がったかもしれませんし、どうなったかわかりませんが、そういうことも考えて、内水対策をするには外水対策もしなければこれ以上降った時に、外水に接する水門を閉じてしまわなければいけないようになりますので、被害に遭われた方の立場に立って、水害の事はこれから考えていかれたらと思います。
「山口」 石倉さんが言いたかった事がもうひとつあったので、それだけ言わせて下さい。多分、来て言いたかったことだと思うんですけども、大橋川の拡幅を問題にする時にですね、中海にはほとんど影響がないというような説明を中海漁協に対してされたそうです。今回のこういう水害の後の状況を見てみると、大橋川を広げたら益々中海に水がどうせ来るわけなので、大橋川の拡幅と中海は非常に関係があるんだから、どういう影響があるかという事もちゃんと議論してくれという風な事をおっしゃっていましたので、それだけ最後に申し上げました。
「司会者」 時間が来ましたのでご意見はここまでにします。今日はたくさんのいろんな地域の方からいろんな経験を持った方が話されたという事で、聞くことが出来ない話を聞けたという事で非常に有意義だったと思います。ぜひともこれを何とか次に繋げたいと思っていますけども、最初に申しました通り内容をできるだけインターネット等で公開したいと思っています。ひとつは写真、それと音声ファイルそのものを公開する事も出来ます。後はそれを書き起こして文章にすることも出来ます。ただ非常に手間がかかりまして、時間もちょっとかかるんですが、もし可能でしたらみなさんから今日お話頂いた事をざっと書いて頂けたら非常に助かりますので、よろしくお願い致します。それで今日のお話を公開する事で一応考えていますが、もしここは出して欲しくないというのがありましたら後で言って下さい。その他、今日の内容を今後にどう繋げるかという意見はありますでしょうか?もともと、今日の会議は、前から続けている「大橋川勉強会」とは少し発展というか住民討論会という事で、大橋川改修事業について何らかの住民の意見を少しまとめてちゃんとした形で行政側に提出して行こうと、ちゃんと行政側に回答してもらおうと、そういう目的で始めたんですけども、まあ凄くいいタイミングで水害がありまして、緊急にこの話をしないと前に進めないという事で今日やりました。わたしとしては今まで47年の記憶とか机上のシュミレーションとか、そういう話でしていたのを、今回間近でどういう風に浸水して上がっていくかという事をみんな目撃した訳ですから、非常に話がし易くなったんじゃないかと思います。9月くらいに住民討論会という事で、今度はじゃあどうしたらいいんだという事を、皆さんの意見として発表してもらおうと思っていますんで、その時にも是非お越し下さい。
「飯野」 8月10日午後1時30分から、県民会館の大会議室で「第5回 大橋川まちづくり検討委員会」というのが開かれます。わたしは委員なもので今日案内が来まして、今回の冒頭で水害について被害の概要について、河川事務所の方から説明があるそうです。ですので、今日来て頂いた皆さん是非、この委員会に来て頂いて、自分が見た事と彼らがまとめた事が同じであるか食い違っているのか、その辺りを是非確認にいらして下さい。県民会館の大会議室だそうですので、結構な人数傍聴できると思います。今日実は午後から県議会議員と検討委員会のメンバーで出雲の方へ視察に行きました。わたしは授業があって参加しなかったんですがその辺の事を含めた報告があると思いますので、ぜひ皆さんご参加下さい。傍聴は自由です。
「倉田」 わたしは前回行ったんですけど、あまり市民の参加がなく、せっかく面白い議論をしているので、皆さん是非聞きに行ってみて下さい。それでは今日は長い時間ありがとうございました。また気づいた事などありましたらいつでも指摘して下さい。よろしくお願いします。次回の会についてはまた連絡させて頂きます。ありがとうございました。
注:開始から終了まで、斜字体は録音から聞き取りにくい箇所を示す。
もし間違いを見つけましたらお知らせ下さい。
メールアドレス:kengo@soc.shimane-u.ac.jp